三宮のドトールにいる。昨日までは宿があったが今日から何も予定がない。真の流れ者になった。間違ってアイスコーヒーを注文したために軽く震えている。神戸は異人館がある。名前はよく聞くが行ったことはない。何処に行っても私は異人だ。言葉の響きに誘われて、用事もないのに行ってしまいそうだ。こども達が空に向かい両手を広げ、鳥や雲や夢までも掴もうとしている。誰か私を捕まえてください。
おおまかなスケジュール
11月18日(木)神戸
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
傷つける勇気。
呼ばれるままに移動をしている。昨日は京都で男性K様にお会いした。K様は言った。新卒で入社した会社が驚くほど自分の肌に合わず、それでも大学卒業後は普通に働かなければならないという呪いにかかっていたので無理をしてまで働いていたら体を壊して会社を辞めた。ちょうどその時期に兄を自死で失い、人生的に一番辛かった時期に坂爪さんのブログに助けられたので今日はその御礼を言いたかった。坂爪さんのブログには、うまく言えないけど肯定の雰囲気がある。こんな生き方をしている人間がいるのだと思えることが安心にも似た気持ちを与えてくれた。と。
そう言ってもらえることは嬉しいから「嬉しいです」と伝えた。男性は続けた。自分の経験を生かして精神的に人の力になれる仕事を色々探して、現在は心理療法士的な資格を取るための勉強をしている。会話の基本は相手を否定しないことだったり何を聞いても驚かないで平常心で聞くことだったりするのだけれど、普通の人にはなかなかそれが難しいみたいで、精神的に辛い状況に置かれている人は更に孤立を深めて行くのだと。私は、この話を聞きながら「それって本当かな」と思った。相手を否定しないことは確かに大事だ。ただ、腫れ物を扱うように接したり接していたら繋がりは生まれない気がする。乱暴な言葉を使うと、人間が弱体化すると感じた。相手を否定しないことは、強さを信頼していないことと似ていると感じた。
一度何かに深く傷ついた後は、どうしたって同じ苦しみを避けようとする。だが、傷つくことを恐れたままでは、人を愛することができないと思う。自分がちょっとでも不利になった途端、洞窟に隠れたり言い訳を引っ張り出して来て、自分を守る道を選択してしまう。病気や事故や親しい人間との離別は確かに辛いし苦しい体験だが、自分のアイデンティティをそこに置いてはいけないのだと思う。人間はみんな弱いが、本当はそれほど弱くない。自分を守れば守るほど、人間が弱くなる。自分が不幸になる。しかし、真の意味では、不幸な人間は一人もいないのだと思う。傷つく勇気、傷つける勇気を持った間柄が、人間的な絆を深めて行くのだと思う。
人間はみんな弱いけど、本当はそれほど弱くない。
その後、脳性麻痺という障害で手足の自由が効かない女性M様にお会いした。M様は言った。友人から「こんな人がいるよ」と坂爪さんのことを教えてもらって、私は文字をうまく読むことができないから写真を見ることしかできないのだけど、空とか海とか花の写真を見るたびに、いつも優しい気持ちになりました。なので、直接会えるなら少しでも会いたいと思ったのです。私には記憶の障害もあって、原因はよくわからないのですがこれまでの記憶が全部なくなってしまうのです。言葉も全部忘れるし、親の顔を見ても「ああ、これが私のお母さんなんだ」って思うのですが、車椅子の生活をしていると誰かになにかをしてもらうとかしてあげるとか、自分のお金とか誰かのお金とか、そういうことがわからなくなることがあります。
車椅子ではちょっとの段差も乗り越えることができないから、誰かの助けなしには生きることができません。福祉サービスを利用することもあるのですが、誰かに申請書を書いて貰う必要があります。私としては、サービスを利用する側も提供する側もどちらも気持ちよくいられたらと思うのですが、なかなかそれは難しいみたいで、もやもやを感じることがあります。介護のルールで「利用者の人と個人的に親しくなってはいけない」というのがあるのですが、たとえばヘルパーさんが怪我をしたときに絆創膏を渡すことも許されません。美味しいものを食べている時は一緒に食べたいなって思うし、苦しそうな時は隣にいようって思うのだけど、厳しいルールがあるのでそれをすることができません。そういう時は、人を幸せにしないルールなんて要らないんじゃないかなと思います。ルールに負けると後悔をします。
障害者施設などに行くと、そこにいる誰かが「この人は何を言ってもわからないから」などと話をしている声が聞こえてきます。自分に言われている訳ではないのに、とても苦しくなります。私は言葉を知らないのですが、なんだかよくわからないけれど胸が痛くなったり、温かくなったり、悲しくなったり、嬉しくなることがあります。どれだけ思いを尽くしても、自分の気持ちが相手に伝わるとは限りません。これまでは自分がダメなんだって思っていたけれど、相手のタイミングもあるのかもしれないと思うようになりました。坂爪さんと会うのは今日がはじめてなのに、話を聞いてもらってありがとうございます。はじめてなのに話せるということは、回数じゃないんですね。資格があるとか、専門知識があるとかでもないんですよね。お医者さんと話していてもまるで機械と一緒にいるような気持ちになることがあるのですが、今日は、坂爪さんに会おうとした自分にマルをつけてあげたいです。昔の自分の日記を見て、ああ、自分はこんな人間だったんだって思うことがあるのですが、昔の私はマンドリンを弾いていたみたいなんです。だから、これからはマンドリンもはじめてみようかなって思っています。そう言ってM様は笑った。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu